夫の実家帰省が憂鬱だった頃

こんにちは(^-^) Greです。

 

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もうすぐお正月☆

我が家はオットの実家は北に300km、

私の実家は南に300kmほど離れており、

お正月はどちらに帰省しよう?という感じ。

みなさまはどうされていますか?

我が家は今年は娘1が関西から帰省してくる

ことになり、どちらにも帰省できなくなって

しまいました。

 

結婚後の取決め

私達が結婚してから、帰省について二人で

話しあって決めたことは、

毎年、交互にお正月は帰省しよう

ということです。

 

その当時は神奈川に住んでいたのですが、

最初のお正月にはオットの実家に帰省して、

翌年のお正月は私の実家に帰省しよう、という

ことに決めました☆

 

いちおう夫の実家を先にして、夫をたてたつもり(-ω-)

 

オットは長男なので、きっとオットの両親は毎年、

お正月には帰省してくるものと思っていたかもしれません…

そこをあえて結婚当初から「交互に帰省するね」と夫から

話してもらいました。

 

最初にキッパリと「これしかできないよ」と線を引いてしまって、

できる範囲で仲よくおつきあいしようね、というスタンスです。

 

オットの両親の反応は?

オットの両親は特に私達には何もいいませんでした。

心の中ではいろいろ思っていたかもしれませんが…

私もまだ若かったので、娘のようにかわいがって

いただきました♡

 

当時、オットも私も残業の毎日で夜遅くに帰宅する

生活をしていました。夫の両親も知っていたので、

気を遣ってくれていたのかも?

神奈川から青森への帰省はかなり体力が必要です。

(当時は車で帰省していました)

 

オットの実家帰省が憂鬱だった頃☆

すっかり忘れていましたが…

帰省が憂鬱になっていた時期がありました。

娘1が小学生の頃に夫の母から、私の仕事の帰りが遅い

件であれこれ「忠告」されていたからです。

 

毎回、食事中に娘達の前で同じ「忠告」をされるのですが…

いい返す気力のない私(>_<)

いつも娘1が気を遣ってくれて、明るく

「一人で留守番してもさみしくないよ」

と答えていました。(それも泣かせます…)

 

間に挟まれて気を遣う娘1。

そんな食事の後はいつも、

「おかあさん、いろいろ言われていたけど大丈夫?」

と声をかけてくれました♡

 

最初の1~2回は説明していましたが、結局は理解して

もらえるはずもなく、毎年同じ「忠告」をされるので~

理解を求めるのは無理だと気がつきました。

おかげで…私も娘1も強くなりました✧

 

まぁ、今となっては心配性の義母なりの「忠告」だったの

だとよくわかるのですが…

 

物事のメリット・デメリットをトータルで評価することなく、

マイナス面だけをピックアップして議論するのはムリがあります。

 

子供のことに口を出さないということは本当に難しいこと

なのかもしれません。

私も気をつけよう!

 

そして今では

長い結婚生活、夫の実家ともいろいろありましたが、

帰省が憂鬱だったことはすっかり忘れていました!

忘れっぽい性格は人生を楽に生きられるのかも☆

 

今では夫の両親には感謝しています♡

おいしい手料理を毎年送ってくれること…

年1回帰省するのがやっとの状況でも、

何もいわずに待っていてくれること…

 

めったに帰省できない私にできることは、

感謝の気持を言葉にして伝える、ということくらい✧

いつも、おいしい料理をありがとう

 

今年も義母の手料理が送られてくるはず♡

 

大人になったら、親と子は少し距離を置いた方が

うまくいくようですね✧

特に母親の本能とのおつきあいはムズカシイ…

 

私も娘達とは少し距離をおくように気をつけたいと思います✧

 

 

情報ブログも書いています✧



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